ただ好きな曲について語る夜Ep.3 「Half Down」
こんにちは!最近ソロ曲をもっぱら聴いてるゆきです。
今回は満を持してエイトさんの曲を書こうと思います。
錦戸さんの「Half Down」。アルバム「PAZZLE」に収録されています。
私、錦戸さんの作るソロ曲はそこまでドンピシャに好みっていうことがあまり無くて完全にBGMになっていたんですよ。(錦戸さんのファンの方すみません・・)
でも、この曲はふとあるときに「あ、いいな」って。それまでにも何十回と聞いていたのに急に。自分でもなんでだろって思いました。・・・なんでだ?(笑)
ワンフレーズ耳に残ったらそれはもう勝ちです。
それからは鬼リピート。
歌詞としては、
昔、若さゆえ?「君」と「僕」はすれ違って決別。(したのかな?) 過去を振り返りながら自嘲気味に後悔している。でも、未来にはこのままの自分で頑張ったらきっと認め合えるから歩いていこう。
というところだと思っています。
私がまとめると途端に安っぽくなるのどうにかしたい(笑)
でも、錦戸さんは「不憫可愛い」 ってイメージがあるんですが、「不憫」というか、「報われないのが似合う」なぁと思います。
別に「もっと苦しめー!!はっはっは!!」って思ってるんじゃなくて、努力しても報われない姿が哀愁漂って、「ラストフレンズ」だって「1リットルの涙」 だって、そういう演技が錦戸さんの真骨頂なのかなと感じております。(もちろん他のドラマ映画も良かったですよー)
なので、この曲もそういう所がうまく出てて名曲だなぁと思います。(気づくのおそすぎ)
「君」とは
さて、曲では「君」と「僕」のことを抽象的に語られていますが、「君」とはいったい誰なのでしょう。
恋人なのか。
友達なのか。
この曲を聴いている人なのか。
錦戸さんなのか。
そもそも「君」はいないのか。
でも、この曲は絶対錦戸さんが何か思うことがあって作ったに違いないと根拠のない確信があるんですよね。「別れ」を独特に書くから。(自分のカンは信じていきたいタイプ)
そして恋人でもない気もする。恋人だったらラストの歌詞が腑に落ちないし。
うーん、わからん!(笑)
言語化するということ
言葉にしたらあとは霞んで行く気がしてた
こうして唄ってる今 皮肉なものだね
歌詞の一節です。
これは私の持論なんですが、人って言葉にすることによって自分の気持ちを明確にしたり、言葉にすることによってはじめて自分の気持ちに気づけたりすると思っています。
ただ、心のモヤモヤを言語化することによって気持ちがスッキリしまう。
そのモヤモヤを忘れてしまうこともあると思います。
だからあえて錦戸さんはそれ(曲中だと「後悔」にあたるのかな?)を言語化しないことによっていつまでも心の中に留めさせてた、と。
癒えない傷をそのままにしておいてわざと心のひっかかりにしていたのかなあと思っています。
そう思うとその引っ掛かりを乗り越える歌なのかなと思います。
もう一つ解釈があって、言葉=会話 ≠歌 。のパターン。上の解釈はただ言葉にするだけ、という素直に考えたバージョンですが、もう一歩先に進んで会話というバージョン。
「君」に言いたかったけどそれを言ってしまったら「君」は僕から離れて行って霞んでしまう。言えなかった「言葉」を歌ってるんですかね。
・・・うーん。わからん!(笑)(2度目)
錦戸さんはおしゃれな言葉のトリックを多く使う人だからこの答えも錦戸さんにしかわからないんでしょね。
と、いうことで思うことをつらつらと書いてみました。悶々としてる文章になってしまった(笑)。
ソロ曲は本当に個人が反映されてるので面白いですよね。
おわり。